六里ヶ原(浅間高原)は、浅間山の噴火によって草木も生えず冬は一面の銀世界という旅人にとっての難所でした。江戸時代、その窮状を見かねて地元の人たちが設置したのが道しるべ観音でした。かつてはこの地域一帯に百体ほどあったのですが、今では数十体に減り桜岩地蔵堂の参道に集められています。静かに並ぶ苔むした地蔵にかつての旅の苦労がしのばれます。